狸のしっぽ  2001年

「いつも自由で平和な心でいたいなあ」
あきれかえるほど、まじめでひたむき、どうしょうもないほど、我ままで
何でもあり。そんな私が感じたり考えたりしたことをつづってみました。


2001.5.15 夢のコンピューター

娘のパソコンを借りて、恐る恐るインターネットの世界をのぞいた時に感じた
ことは、「まるで満天の星空のようだ。」ということである。
今ここに生きている自分を伝えたいという思いが一つ一つの星となって、輝い
ているようだと思った。そして、私もその仲間に加わることになった。

家の近くにパソコンスクールがあって、そこでバイトをしている、高校生と
大学生が私の先生である。始めは気がつかなかったのだけど、彼らは、息子の
同級生だったり、子供会でお世話をさせていただいたご近所の子供達だった。
そんな彼らに色々教えてもらって、やっと私のホームページが完成した。
物覚えの悪い私につきあってくれた彼らのやさしさが嬉したかった。

コンピューターは、私達が知ることのできる世界を、限りなく広げてくれる。
好奇心の強い私は、NASAのホームページものぞいてみた。何が書いてある
のかわからなかったけれど、宇宙船や、惑星の写真があって、なんだか、わく
わくした。今、ここ、地球の片隅の小さな街で暮らしている私が、全世界とつ
ながっていることを実感した。

確かにコンピューターは面白い。だけど無限の情報をその心と頭と体に詰め込
んでいる人間という夢のコンピューターを、使いこなせるようになることが、
今の私の最大の関心事だ。この生身の私の中に、どれほどの可能性が潜んでい
るのか。それを最大限に引き出すにはどうすればいいのか。今私は、自分とい
う一人の人間を実験材料として、この夢のコンピューターがどこまで成長し、
どれだけのことをやれるのかにチャレンジしてみたいと思っている。

それにしても、慣れないパソコンの扱いには、散々苦労した。
機械とつきあうという思考回路を新たに開発してゆく困難さに、途中で投げ出
したくなったこともあった。誰かが書いたマニュアルは、参考にはなっても、
結局何度も失敗しながら、手探りで一つ一つ覚えてゆくしかなかった。

このことは、自分というコンピューターと付き合う場合も同じだと思う。一人
一人タイプが違うのだし、おまけに古いタイプのものほど、いらない情報がた
くさんインプットされていて、反応が鈍かったり、思うように作動しなかった
りする。
まずは、不必要な情報を削除して、心も、頭も、体も軽くしなければいけない。
そして私は、私というオリジナルなパソコンに私の夢をインプットするのだ。


2001.6.1 夢の宇宙船


息子が中学生の時、塾の送り迎えをしていた。その時車の中で色々なことを
話した中で今でも覚えていることがある。それは、まことに勝手な話ではあ
るのだけど、私は、自分が果せなかった夢の一つを息子にかなえてもらいた
いと語ったのである。
「私は、科学者になって、宇宙船に乗って旅をして、地球より進化した星に
住む宇宙人に出会って、地球が平和になるような科学を学びたかった。でき
れば、君が宇宙船に乗れるようになって、私を招待して欲しい。」
素直な息子は、まじめにパイロットになる道を考えていた時もあったけれど
色々と挫折したおかげで今はまるで違った道にむかって歩き始めている。
自分の夢は自分で実現しなければね!反省です。

ところで、今回このホームページがきっかけで16才(今は17才)のコバ君
とお付き合いするようになって、ふと自分の16才の時のことを知りたくな
った。そして久しぶりに日記帳を開いてみて、なるほどなあと妙に感じ入っ
てしまった。
それは、高1の秋のある日突然、一つの詩を書き写したところから始まって
いた。

その詩とは、「二十億光年の孤独 」 谷川俊太郎 で、その言葉は、今読
んでも心に深くひびいてくる。
「万有引力とは ひきあう孤独の力である。宇宙はひずんでいる それ故み
んなはもとめあう。宇宙はどんどん膨らんでゆく それ故みんなは不安であ
る。」

そして、16才の私のコメントがある。
「私は孤独でさびしかったがいじをはっていた。そして孤独を(高い孤独)
を愛そうとした。でもだめだった。私はこの詩で少しすくわれた。大きくて
孤独もおおらかだ。この大きさ(宇宙)を感じて私は心にささえができた。
人間は生まれながらにして孤独である。その中でいしゅくしてはいけない。
人間はさらに大きく偉大になるために、強くならなければならない。」

21世紀は、「個の時代」であると言われている。本来自由である人間にと
って、それは必然だと思う。
今まで私達は、家族、地域、会社、国、などなんらかの集団に属し、その集
団にとって都合のいい人間であることを求められてきた。しかし、そのこと
によって、私達の「いのち」は、本来の輝きや能力を発揮することを押さえ
つけられ、その願いとは、違った生き方をしいられてもきた。たとえば、平
和を願っていても国のために戦わなければならなかったり、家族のために不
本意な結婚をしたりとか。

しかし、自由であるということは、自分の生きたいように生きるということ
は、自分のことは人に頼らずに自分で決め、その責任は自分が負うというこ
とでもある。それには、人の言葉に左右されない、自分を信頼しきった、孤
独に耐える強い心を持った自分に育ってゆかなければならないと思う。

16才の私が、感じていたことを全然果せないまま、年ばかりとってしまっ
た私である。寂しがりやで、誰かが自分のことを認めてくれないと不安にな
るし、人にどう思われるかを気にして人の視線を恐れている。
なーんだ、まるで親に依存しないと生きてゆけない子供みたいじゃないか。
ちゃんと自立した大人になっていないじゃないか。
そんな風で、それでも、子供を育ててきたつもりだったけど、なんかかなり
欠陥だらけで、全然お手本にならない姿を見せ続けてきてしまったみたいだ。
だけど私は、いつからだってやり直せると思う。気づいたその時から軌道修
正をして、新たな旅を始めればそれでいいのだと思う。

私達一人一人は、それぞれの宇宙を一人で旅しているのかもしれない。私達
一人一人が宇宙船なのかもしれない。と、そんなことを感じた時、そうなん
だ、このホームページが私の宇宙船なのだと思った。そう思ったらなんだか
とても愉快になってきた。私が船長で、色々と足りないところをサポートし
てくれる仲間と一緒にどこまでも、広くて深い心の宇宙を旅するのだ。いっ
たいどんな旅になってゆくのだろう。なんだかわくわくしてくる。


2001.6.14 初恋記念日


梅雨の晴間の6月の空を見上げる時、17才の私に出会いたくなる。
6月18日は、私の初恋記念日。忘れることのできない鮮烈な一日。
その日17才の私は、満員電車の中のようにごったがえすある場所で、数メー
トル離れたところにいた一人の男子校生にふと目がいった。その人は中学時代
に生徒会で何度か顔を合わしたことがある人だった。でもその人は私に気づく
こともなく、人ごみにまぎれてしまった。たったそれだけのことから、私は恋
する人になってしまったのである。

毎日その人のことばかり考えて、何も手につかなくなってしまった私は、散々
悩んでからついにその人に手紙を書き、友達として交際して欲しいということ
を伝えたのである。そして見事にふられてしまった。
「今は部活のことしか頭にないので、他の人とおつきあいされてはいかがでし
ょうか。」と誠実な文面で書かれたその人からの手紙を読んだ私は、悲しくて
泣きながらも、ますますその人を好きになってしまった。

その後私の日記帳には、彼の名前が書き連らねられ、夢の中で彼に出会ったこ
となどが、まるで現実の出来事であったかのように克明に記され、切ない片想
いとはいえ、私はまぎれもなく彼とともに生きていたのである。彼に嫌われた
くなかったので、それ以上自分の想いを伝えてはいけないと考えた私は、陰な
がら彼のために祈り、彼を応援し続けながら、自分も部活や生徒会の活動を頑
張ろうと思ったのである。

高校生の時、私は美術部に入っていて、それと同時に応援団にも入っていたの
で、その二つのことだけは熱心に取り組んだ。
そして17才の冬、絵の展示会のために、以前から心ひかれていた建物の絵を
描くことにしたのである。降りしきる雪の中で、その建物の前にイーゼルを立
て、彼への想いを心の中に燃やすことで自分を支えながら、私はその絵を描き
あげた。一番見て欲しい人に見てはもらえない寂しさを感じながらも、私の心
の中には、すがすがしい喜びと充実感があった。
そして、技術的なことはともかくとして、その後私はその絵を越える絵を描け
なかった。

17才とは、そういう年齢なのだと思う。人生の中でも特別にエネルギーが集
中するスポットのような感じがする。そして初恋というものも、やはりその人
の原点になるような気がする。ということで私はその後も、その時の自分に支
えられ続けているのである。
つまり私はその後も次々と人を好きになって、しかも片想いばかりが多かった
それでも、夢や空想の中で勝手に楽しい恋を想像して体験した気分になったり
憧れる人の真似をすることによって自分を育てるという思考回路が、その初恋
によってできあがったということである。

そしてつい最近、ある芸術家の書いた文章を読んで、私の体験したことが、す
ごくステキなことだったことに気づかされ、とても嬉しくなったのである。
それは、遠藤光栄さん(画家、JIAS日本国際美術家協会会員)のホームペ
ージで見つけた、「ビーナスの抱擁」という文章で、「愛はひたすら、与え続
けるだけで完結します。そしてかならず美に到達します。」「美と愛の循環」
という言葉が書かれていた。

与え続けるだけの愛でも、それは虚しくはない。必ず美を伴うのだから。そし
て美には愛が伴うので、愛を与え続けることで、美と愛の循環がくりかえされ
ることになる。
ということで、なんだかとてもありがたいことが始まったきっかけのその日を
「初恋記念日」と呼ぶことにしようと思いついたのである。

ここで、誤解されるとこまるので、あえて付け足しておくのですが、私がその
ように純粋な恋をしたのは、その時だけで、その後は、色々と雑念や打算やあ
れこれ混じった恋をするようになり、人を傷つけ自分も傷ついたり、すったも
んだで多情多感な人生を送り今に至っているのである。それでも、片想いに悩
む純情なみなさんへの励ましになれば幸いである。


2001.7.1 「笑いながらの革命」 

もっと自分のことを愛せるようになるといいのにね。
もっと自分のことを赦せるようになれば、随分楽になるんだけどね。

生まれて50年近くたって、やっと気づいたことなのだけど、私が本来持って
いた力を子供の時からそのまま自由に発揮できていたら、私はもっと強くてし
なやかで疲れを知らない美しい生き物になっていたと思う。

たとえていうと、私はずっと長い間、エネルギーのかたまりみたいな私という
生き物の首ねっこに、鎖をまきつけて押さえつけていたような気がする。飛び
たたないように、翼をとじた状態でくくっていたような感じがする。

そして今までの人生の大半、私を押さえつけていたのは、私自身だったことに
気づく。
自由にはばたきたい私を必死で押さえつけている私がいて、そんなことに生き
るエネルギーを使って、疲れきっていた私がいた。

どうしてそんなことになってしまったのか。どうやってそれに気づいたのか。
そして私は、どうしたのかということについて、私は一冊の本(わたしの応援
歌)に書き記した。
そして色々な体験の後で、たとえ一時期はそれが必要であったとしても、私の
大切な時間とエネルギーを、誰かや自分が気づかずに犯してしまった過去のあ
やまちを責めたてることに使っても、何もいいことはないと思うようになった。
そんなヒマがあったら、そのエネルギーを使って、まず自分を愛しぬいてやろ
うと思った。

つくづく可愛そうな私だった。いつのまにか私自身に一番嫌われて、いじめら
れていた。
おまえはこうあるべきだ。こうでないおまえはゆるされない。どうせおまえに
はできっこない。みっともない。恥ずかしい。いやなやつだ。そんなおまえな
んか見たくない。
驚くほどのマイナスの言葉、力を萎えさせられる言葉ばかりをあびせられてい
た私だった。
自己嫌悪、自己処罰、自己限定でがんじからめになっていた私だった。

情けなくって、みじめで救いがたい状態の私。でも、なんとしてもそんな自分
を救いだそうと思った。
そして何冊もの心に関する本を読みつづけて、私にはこれが一番合っていると
思ったのが、「人生は、すべてが笑える」アネット・グッドハート(VOICE)だった。

そして私はいつかみた「ゴールデンチャイルド」という映画を思い出した。素
晴らしい能力を持った子供が大きな鳥かごのような檻にとじこめられているの
を、いいかげんで、どうしょうもない、調子のいい男が、救い出すという、バ
カバカしくて笑える映画だった。

ふふふ。こうなったらもう笑うしかないのだ。
ふふふ。あぶなかった。あんまり自分をいじめすぎて早死にする一歩手前だっ
た。
ふふふ。危機一髪でこんなアホなことに気がついて命拾いした。
ふふふ。ここまで生き延びてきたのだもの、私のいのちは強いのだ。

私は自分の心の中に革命を起こした。長いこと私を押さえつけ、支配してきた
いくつもの言葉にNOを言い続けた。
時には、「うつ」の波が押し寄せてきて、私を暗いよどみの中に引きずり込ん
で、私の気力を奪い去ってしまうけれど、そんな時は逆らわない。
ふふふ。私は「うつ」だ。ふふふ。私は無気力だ。ふふふ。今私は廃人同様だ。
ふふふ。これもプロセスだ。

心の革命における一番の武器は、笑いなのだ。なんでも笑いとばすのだ。
ふふふふ。はははは。私はアダルトチャイルドだ。心は傷だらけで、トラウマ
にまみれている。ふふふ。
「うつ」になると何もできなくなって、だらだらと寝たり起きたりだ。ふふふ。
寂しすぎて、誰かにやさしくして欲しくてたまらなくなる。ふふふ。

笑いとばせないほど重いこともある。笑いながらも胸の奥がうずくこともある。
笑うことが虚しく感じることもある。

でも、ある人が言った一つの言葉が私を支えてくれる。
「笑いは、耳で聴く光。」「どんな深い闇も光には勝てない。」

笑って、笑って、しまいには、泣けてくる。なんだか自分がいとおしくなって
くる。
ふふふ。バカバカしいかもしれないけれど、私は元気になってきたし、心も随
分自由になってきた。

ふふふ。この調子でやってゆこう。この革命を広げてゆこう。


2001.7.28 「頼れるものは何か?」

明るく陽気にスタートした夢の宇宙船「狸のしっぽ号」がブラックホールにさ
しかかった。そして船長はパニックに陥りそうになる。心をおおいつくす虚無
感、不安、恐怖。うずくまって何もしたくない。ひきこもってしまいたい気分。
(大変だ!どんどんブラックホールに引き込まれてゆく。)

落ち着け、落ち着け、夢のコンピューターが作動して、軌道を修正するはずだ。
でも、頭がぼーっとして、眠くてたまらない。
「もうどうなってもいいや、眠ってしまいたい。」
「寝てはダメだ!目を覚ませ!眠ってしまったら死んでしまうよ!」(なんだ
か山で遭難してるみたいだ)
「しっかりしよう。とにかく落ち着いて心を静めよう。深い息をしてみよう。」

ここのところ私の心の中では、こんなドラマが展開していて、かろうじて脱出
したところだ。そして色々と気づいたり学んだりした。
どんなに知識があっても、うつと恐怖の前では、無力。
ここは本腰を入れて、恐怖に襲われた時、そこをぬけだすための確実な方法を
しっかり身につけなくてはならない。
私は世界とシンクロナイズしている。そして自分の心が暗くなると、世界をひ
たしている闇の影響を受けてしまうようだ。

「うつ」と「不安」と「恐怖」と「寂しさ」が、まるで大きな怪物のように私
の前に立ちはだかり、私を飲み込んでしまわんばかりになることがある。

「頼れるものは何か?」
「自分の中に秘められている力。それを信じる心。」
「やるべきことは何か?」
「怪物のような闇の正体を見極めて、闇と戦わずに仲良くなってしまうこと。」

そして私は、とりあえず、笑ってみることにする。
ふふふ、ふふふふ、ふふふふふふふふ、ふふふふふふふふふふふふふふふふ、
ふふぁーははははははははははははははははははははははははははははははは
は、ははははははははははははは、ははははははははははは・・・・・・・・
苦しいよ。ははははははははははは。おなかが痛くなってきそうだよ。ははは
ははははははははは。ばかみたいだよ。はははははははははははははは・・・
・・・・・・・・
と言う感じで10分ぐらい笑いころげるのである。

ふーやれやれ。いい運動をした。なんだかすっきりして呼吸も深くなったし、
すこし元気になっているみたいだ。

「頼れるものは何か?」
「自分のからだだ。からだと仲良くなってからだの声を聴けるようになろう。」

この違いがわかるだろうか。ここで私はとどまっていて先へ進めなかったのだ。
つまり、いままではすぐに頭で考え、理屈で納得し、わかったような気になっ
て、結局何も変わらなかった。
今回は、頭をカラにして、とりあえずからだで行動を起こしてみた。すると状
況が少し変わってきた。
そしてやっと思い至ったことがあった。
私の中には、色々なことに対する恐怖があって、それが成長のために変化する
ことを目差している私の行動を押しとどめていた。そして今回気づいたのは、
「感じることへの恐怖」だった。

これも、頭では理解していた。子供時代に心身に辛いことがあると、無力な子
供ではそれを感じるとよけい辛くなるから、感じないようにしようというスイ
ッチが入ってしまう。そして、感じたほうがいい状況になっても、常に感じな
い方向へと、作動してしまうのだ。具体的には、すぐ頭で考えて、あれこれ理
屈を並べて自分を納得させて、体で感じることを(体で行動を起こすというこ
とを)避けるということを無意識にやってしまうということだ。

「頭で考えずに体で感じてごらん」と、色々な場面で何人もの人から言われ続
け、自分でもそうなりたいと努力してきた。
しかしそれがなかなかできなかった。そして今までは、それができない自分を
責めるような心があった。それが間違いの元だった。もう感じても大丈夫だよ
と、私の中の怯えている自分にやさしく言ってあげて、感じることのすばらし
さを教えてあげれば良かったのだ。

ばか笑いをしたおかげで、そんなあたり前みたいなことに気づいた。ふふふ。
「笑うかどには福きたる。」
ということで、「笑いながらの革命」の実践編として、毎朝10分間笑うとい
うことをやり始めたところだ。

その効果を証明するような、科学的なデータもあると思うけど、そんなことよ
り、とりあえずやってみよう!
真理とは、常に単純明快。簡単でお金がかからなくて誰にでもできる。
ただ最初の一歩を踏み出すのにちょっと勇気がいる。あれこれ理屈をつけてそ
れをやるまいとする頭(理性)を黙らせるのが難しい。
だまされたと思って、軽い気持ちでやってしまえば、あとは、心やからだがそ
の効果を実感して「うーん。これはいい!」ということで、続けられると思う。

「ばか笑い、みんなでやれば恥ずかしくない。」(とはいうものの家でやる時
は一人。私も家族がいない時をみはからって、窓をしめてからタイマーを10
分に設定して、まずはあお向けに寝転がったりして笑いはじめる。)
そしてこの「ばか笑い健康法」をはやらせたいと思っている。ふふふ。


2001.8.17 「友へ」 (♪人間っていいな♪)

私が「友達」という言葉を使う時、それは縁あって出会うことができたすべて
の人のことをさしています。だからこの文章を読んでくださっている人のこと
も、もちろん友達だと思っています。そして、家族のことも、仲間のことも、
人生の先輩として尊敬する人のことも、みんな友達だと思っています。

わたしの好きな賛美歌に「♪慈しみ深き わが友イエスは?♪」という歌詞が
あります。これは嬉しいですよね。
「汝ら罪深きものよ」と呼びかけられるより、「友よ」と呼びかけられたほう
が、たとえ罪悪深重の凡夫である私であっても「反省していい人間になろう」
という気になるというものです。

「潜在意識と表面の意識とが全く一つにならなければ、人間は本当に幸福には
なれない。」(五井昌久)という言葉に出会ったことがきっかけで、私は目に
は見えない世界のことを学ぶようになりました。
そして今しみじみ思うのは「すべての答は自分の中にある」ということです。

自分の周りに起こってくる事、世の中で起こっている事に対して、誰かを非難
しても、対立を深めるばかりで解決には至らないと思います。
どんな時でも、自分の心を深く見つめ、自分を変えてゆくことが、結局は周り
を変えてゆくことになると私は思います。

ところで「狸のしっぽ」のエッセイは、できる限り、明るく楽しく軽く書きた
いと思っていますが、「新世紀の狸ばやし」のほうは、だんだん重く深くなっ
ていくようです。
「闇の深さを知らなければ、本当の光に出会えない」し、改革には産みの痛み
がともなうものです。かつての私自身のことを思い出すと、正直に自分のこと
を語る人の言葉は、衝撃的でした。でもそれによって私の心は育てられました。

「狸ばやし」のコーナーは、新しい時代を創ってゆこうとしている人達や息子
(20才)の年代の人達に向けて書こうと思っているので、父(79才)やパ
ートナー(50才)の年代の人には、受け入れ難いかもしれないと思ったりも
します。
正直に言って、自分のことを語る時、どうしても家族のことに触れざるを得な
いというのが、私にとって一番辛く、迷いや心の疼きを感じるところです。
家族を愛し、信頼していればこそ、自分の心をごまかしなく見つめる事ができ
るのですが。

ということで、色々な想いにゆらぐ心で、祈りつつ書き進めてゆきましょう。

    「人間っていいな」 

         
いつか友達が教えてくれた 人間って過ちをくり返すけど
自分の姿に気づかなくて 人を傷つけるけど
だからこそ それゆえに いとおしいと

私にはその言葉がわからなくて
愚かさをくり返す人に腹を立てて
自分の姿に気づかない人に 苛立って
暗く歪んだ人を 嫌い続けた

そして私やっと気づいたの
なんのことはない 私こそが そんな人だった
自分の姿に気づかずに 人を傷つけていた

そして泣きたくなるほど 胸がふるえた
そんなどうしょうもない私のことを
黙って見守って赦し続けて 待ちつづけてくれた人達が
たくさんいたことに気づいたの

人間っていいな 人間っていいな 
人間が好きさ 人間がいとおしい


いつか友達と別れる時 寂しすぎて私 泣くだろな
いつかはまた会えると わかっていても
今ここにぬくもりが欲しくなる

出会えば別れがあることはわかっていても 
変わらない明日が来ると思ってしまう
今ここが この時が すべてなのに 
大切な事 後回しにしてしまう

そして私やっと気づいたの 
どんなにステキな神様よりも 愚かで弱い一人の人間を
信じ続けることができたなら それだけでいいと

そして希望が湧いてきて 胸がふるえた
泣いて 怒って 笑いながら 自分を赦すことができた時
愛と喜びが湧いてくることを 私伝えたい

人間っていいな 人間っていいな 
人間が好きさ 人間で良かったな


2001.9.3 あくびからの革命

うーんと大きくのびをする。そして、あくびを一つ。
「あーあ。ふぅー。いい気持ち。」という、そこから始めようと、私は思う。
「何を始めるの?」って。
ふふふ、自由で平和な新しい時代を創ってゆくことをです。そして、あくびも
極めてゆけば、奥が深い技となって、私達の心と体を育て、さらに人間関係ま
でも改善してくれるということを私は自分の体験から、みなさんにお伝えした
いのです。

私は、体の不調や、人間関係における問題、さらに無気力やうつの状態に悩ん
できた人間です。そして、その原因が自分の心の奥に抑圧されていた、葛藤に
よるものであることに気がつきました。
私は、自分の心と体に深く刻まれたさまざまな葛藤、怒りや寂しさや虚しさを、
少しでも解放してゆくために、色々なことをやってきましたが、その中から、
自分の体一つで何もいらなくて、誰にでもできて、簡単で効果抜群で、できる
だけお金がかからないことを伝えてゆこうと思っているのです。

そしてその一つが、あくびをする気持ち良さを発展させてゆく「快気法」です。
私達があくびをする時、体は無意識に、その時自分の体が求めている動きをし
ます。そしてその動きというのは、たとえば体の中でこわばっている所をほぐ
したり、のばしたりして体を調整する動きになっていると思います。これが快
気法の原理なのです。
頭で考えて、意識的にその部分をほぐそうとするより、頭はぽかーんとして何
も考えず、体にまかせて、体が動きたいように気持ちよさに身をゆだねて自由
に動く、すると結果的にほぐしたかったところが、意識的に努力してほぐした
よりも、ほぐれてしまっている!ということなのです。

えーっ。それでいいの!体力も根性もなく運動は苦手だった私にとって、健康
で整った体づくりが、あくびをする気持ちよさを感じてゆくことで実現するな
んて、ありがたすぎる、嬉しすぎるというものです。
そして「快気法」は、一人でもできますが、誰かと組んでやるとより面白さと
気持ちよさが増してきます。補助する側も補助される側も、共にほぐされてゆ
く心地よさと一体感の中で、心と体にやさしさが充ちてくるのを感じることが
あります。

言葉で説明するより一緒にやってみれば、「そういうことなのか。気持ちいい
なあ。」と感じてもらえるのですが、とりあえず、いくつかのポイントがある
のでそれだけは守ってやってみてください。

あくびをする時は、自然にそういう状態になっていると思いますが、
1.「みぞおち」が開いていること。
2.腰椎3番(おへその後ろあたり)に力が集まっていること。
3.丹田(おへその少し下のところ)が充実した状態になっていること。
この状態で、心地よさを体中に広げてゆきます。たとえば猫がのびをしている
ように手足の指の先までぴーんとのばしたり、ねっころがったり、体をねじっ
たりして、自由に動いてゆくのです。
初めての人は、この時頭の中で自分の背骨を思い描いてみてください。背中に
一本の線があるとイメージすると、手足の動きが腰につながり、からだ全体が
引き締まって、心地よさがからだに伝わってゆくと思います。

「快気法」というのは、自由人(ミュート)というグループの代表をされてい
る河野智聖さんが、武道、整体、操体法などを統合して、考案されたものです。

<河野さんの発行されている会報からの抜粋です。>

たとえば、片足を伸ばしたストレッチがあります。私はこれに快気法を取り入
れてみました。つまり、片足を伸ばした形のまま、心地良い方向へ自由にから
だを動かすのです。一呼吸してから伸ばす形を行うと以前よりもからだが柔ら
かくなっているのです。これはまさに親子の教育法だなと思いました。親や教
師は完成に向けて、ある一定方向に強制的に押さえ込みます。子供は自由気ま
まに頓珍漢な方向に向いて歩き出します。しかし、結果として一定方向ばかり
向いているより、好きな事を行っていた方が伸びるのです。
もうひとつ、これは心道の稽古中に試みたのですが、三、四人に腕にしがみつ
いてもらいます。通常筋肉では絶対に動かない状態です。ところが、心地よい
方向に動いてゆくと振り解くことができるのです。<好きこそ、物の上手なれ
>と言いますが、本人にとって心地良ければ、いかなる障害も乗り越えてゆけ
る事を、改めてこの技から教えられたのです。
快には二種類あります。クーラーの中でお菓子を食べながらテレビを観るとい
うからだをたるます快もあれば、汗を出したり、運動したりする快もあります。
耐えるという行為にも、からだを壊す苦痛の状態と、からだを育てる快痛の状
態があります。その境界線は、鳩尾が開かれ丹田が充実する原則に合うのです。

「我慢」が美徳とされ、根性がもてはやされ、気持ちよさを味うことは悪いこ
とのような時代があり、快を封印してしまっている体の方がたくさんおられま
す。
「楽しさ」というのは何でしょうか。娯楽施設やテレビゲームのような「心の
つながりのない与えられる楽しさ」とは違った「自ら動いて他のいのちとふれ
合い、つながっていく楽しさ・喜び」というものがあります。

この「体の快」を追求し、裡(うち)から元気を呼び起こし、体のつかえを解
きほぐして心身を開放し、人とのコミュニケーションを学ぶのが「快気法」で
す。
健康法・体育ての訓練法としてみても、快気法を行うことで、体の中心である
腰と、手足などの末端とのつながりがよくなり、その人本来の美しい姿勢や理
に適った動きというものが現れてきます。さらに関節や筋肉の弾力が回復し、
日常生活の偏り疲労を解消していくことができます。



2001.10.2 「カチカチ山の狸さん」


なんともやっかいな代物は、「嫉妬心」
そのせいで、どれだけ苦しい思いをしたり、人に迷惑をかけるかはかりしれない。
そして、色々な組織やグループの人間関係がうまくいかなくなったりするのも、
私達の心を支配する嫉妬心のせいだったりする。

私も情けなくなるほど、人に嫉妬してしまう人間だ。冷静になって考えると、
全然嫉妬しなくてもいいことに対しても、反射的にジリジリと嫉妬の炎を燃や
してしまう。相手に負けたくない、勝ちたいという思いがうずいてしまうのだ。
そういう私はまさにカチカチ(勝ち勝ち)山の狸さん。嫉妬の炎であっちちー。
心が火傷でひりひりうずく。
なーんて風に思ってもみるんだけどね。
ここはひとつ、嫉妬してしまう心を深く見つめて、その原因をつきとめて、そ
こをケアしなければと思う。

私の場合は、弟が生まれた時に原因があった。私より後からやってきて、幼い
私にとっていのちの糧である、お母さんの愛を奪ってしまった弟に激しく嫉妬
したのが始まりだ。
さらに私の場合は、生まれた時からいい子でいれば愛されるという条件つきの
愛を与えられていたので、「お姉ちゃんなんだから」と言われてしまえば、自
分の本当の気持ちを出せなくて、鬱屈した思いは心の底にたまっていったと思う。

「私と弟とどっちが好き」
子供の頃、私はいつも母にそうたずねていた。そして、勉強ができて先生にもほ
められる優等生の自分のほうが母に愛される価値があるのだと思っては、弟を低
く見て差別し優越感にひたっていた。
こうした心にしみついたクセがずっと私を支配し続けているのである。

私は、仲間や友達で、能力的に自分と近い人に、弟を投影してしまうのだと思う。
そしてたえず相手と自分を比較し自分のほうが上だと思いたい心がうずいてしま
うのだ。その人がほめられたり得をすると悔しくなってしまうのである。
その時私の心は、母に愛されたくてたまらない、心に傷を負った幼子の心になっ
ているのだと思う。

嫉妬する自分を、情けなく思ったり、嫌でたまらなかったけれど、そんな自分を
反省したり、責めてみても何の解決にもならないことに私はやっと気づいた。そ
んな自分をこそ愛してあげなければならなかったんだと思う。

「そうなんだよね。ただお母さんに無条件の愛で、そのままの自分を受けとめて
欲しかったんだよね。幼い子供がそれを求めるのはあたり前のことなのにね。そ
れが満たされなかったから、ずっとそれを求めているんだよね。大人になっても、
幼い心のままでね。」
「悲しいね。そんな風は辛いね。でも、私はもう無力な子供ではないし、知恵が
ある。そんな愚かさにも気が付いた。ないものねだりはやめてこのことを前向き
の力に変えてゆこう。」

ふふふ。そうなのです。私はそれでよかったのです。ここまではね。
嫉妬心。負けたくないと張り合う心。いいじゃないですか。そのエネルギーはた
いしたものですよ。おかげで頑張って自分の力を引き出して、色々なことをやり
とげることができたのではないですか。私はそれで良かったのです。今までは。
でも、ここからは、自分が黒焦げになってはたまらないから、その嫉妬の炎を安
全に美しく燃やすことを考えるようにすればいいのです。

とはいうものの、自分を変えることは難しい。私は相変わらず何かにつけ自分と
人を比較してしまうクセがなくならない。自分のほうこそ愛されたい、認めて欲
しいという気持ちもいつもうずいている。
ただ、そんな風になってしまう自分の心に気づいたことで、人と関る中で、無意
識に過去のクセのままに反応してしまっても、後でそれに気づくようになったし、
他の人に対しても、きっと私と同じような体験をしているのかもしれないなと、
思うことができるようになってきた。それだけでも進歩だと私は思う。

「反省だけなら猿でもできる。」というフレーズがはやったことがあったけど、
「反省もさる(猿)ことながら、その原因を知る知恵を持つのが人間だよ。そし
て反省はしても、自分を責めずに赦そうよ。そんな自分を、大丈夫だよ、と励ま
してあげようよ。」と言いたい。

それにしても、人間の中には、カチカチ山の狸さんが随分混じってるなと思う。
ふふふ。私もあなたも同じ穴のむじな。なーんてね。


2001.11.4 武は愛である

「な、何だ、これは!」と私は思った。
それは、武道家でもある、体育てのアーティスト、河野智聖氏の「心道講座」
で、秘伝の技に接した時の驚きである。
力で倒そうと腕をとった時、不思議なことに、私の心と体の中から戦闘意欲が
消えていってしまったのだ。そしていとも簡単にころっと投げられてしまった。
そしてその投げられることが、快感で、投げられて起き上がると、体が整って
元気になるのだ。
これが、「武は愛である。」ということなのではないか!凄い。面白い!と私
は思った。

「武は愛である」という言葉は、合気道の創始者である植芝盛平先生が言われ
た言葉である。
植芝先生は、心と技を磨かれて、宇宙と一体になられて、無敵となった人であ
る。

真の武道とは愛の働きであります。殺す争うことではなく、すべてを生かし育
てる、生成化育の働きであります。
日本の真の武道とは、万有愛護、和合の精神でなければならない。和合とは、
各々の天命を完成させてあげること、そして完成することである。
合気は自由を束縛するのではない。すべての悪い心を祓い浄めて、すべての縛
つまり因縁の縛、自分の行いの上よりきた縛、すべての精神よりきた縛を悉く
解くのです。
(「武産合氣」(高橋英雄編著 白光出版)より抜粋)

植芝先生が、凄い人であったというエピソードはたくさんあって、測量のため
に、北海道の原始林に小屋をたてて寝泊りした時に、どう猛なひぐまが毎晩先
生のところに泊まりに来て、山に帰る時は、ちゃんとおじぎをしていったとい
う話もある。

宇宙と一体となるということは、気功とかヨガなどでも求められる境地だけれ
ど、それを実現するのはとても難しいと思う。知識としては、自分の「我」を
どこまでも消してゆき無心になればいいのだ。とか、呼吸と意識を自分を包み
込んでいる世界(宇宙)と一つにしてしまえば、自分が宇宙そのものになれる
のだ。と理解できても、まず頭の中をからっぽにすることができないと思う。
そして、それを実現するために、滝に打たれたり、体を酷使した修行を積んだ
りする人もいると思う。

辛いのはいや。頑張って努力しなくてもいいのがいい。楽しく簡単にそういう
ことを実現する方法があったらいいのになあと私は思う。そしてそう思ってい
ると、なぜかそういうものに出会えてしまうところが狸パワーなのだ。ふふふ。

ということで、私は、からだにとって気持ちがいいこと、からだが整ってゆく
ことを求めてゆくだけで、体力的に劣っていても、筋肉を鍛えた力に勝る力を
出せてしまうということを教えてくださる河野智聖氏に出会い、武術の秘伝の
技を「えーっ、私のようなシロウトでも、こんなに簡単に実現できるの!」と
いう驚きと面白さの中で学んでいるのである。

河野さんは、少年の頃から武道に興味を持ち、さまざまな技を探求し、強さの
先にある武術の真の可能性を探す中で、植芝先生の「武は愛なり」という言葉
に出会われ、それを目標とされたのである。
さらに、河野さんは、野口晴哉先生の整体に出会い、からだを通して人の命に
触れることを学んだ体験を生かし、武術と整体を統合し、「心道」を創られた
のである。

私は河野さんの「快気法」や「心道」などの講座に参加するようになって3年
になる。以前に比べて体が整ってきたことも嬉しいことだけど、それ以上に、
人と関るときに平和的に関れるようになったことがありがたいことである。
武術の演武をされる時は凄い気迫を感じさせられるけれど、普段の河野さんは、
穏やかで母性的な人でもある。幼い三人の子供の父親であり、その出産に立会
い、子供を取り上げたり、臍の緒をきったりもしている。

いのちをいとおしみ育む「愛」そのものになることは、宇宙そのものになるこ
とと同じであり、「武」とは、いのちを愛護するもの、そしてあらゆるものと
敵対せずに調和してゆける心と体を育てるものである。
このことを知識としてではなく、心とからだで実際に体験し、身につけてゆく
ということを教えてくださった河野さんに私はとても感謝している。

ということで、河野さんが代表をされている自由人(ミュート)の会報の文章
を紹介します。

「平和憲法」について      2001年10月   河野智聖

日本国憲法 第二章 戦争の放棄 第九条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動た
る戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段として
は、永久にこれを放棄する。

平和憲法は無敵である
無敵という意味は自らの権力を誇る事という事ではない
文字どうり敵が無くなるという意味だ

平和憲法は世界を結びつける和合の憲法である

かってこの国は大和と呼ばれた
大和とは大いなる和という意味である

縄文時代の遺骨には争いの跡が無いという
自然と人が調和された歴史が私達の根底の中にある

日本武術の神髄は、敵を倒すものでは無い
向かってきた相手と和する事が日本武術の奥義である

農業や漁業、林業もすべて大自然と調和するものであった
自然と人との調和が私達の生き方であった

戦後米国から提示されたこの法律は偶然にも日本の精神の集大成でもあり、世
界の理想の法律でもある

戦争放棄は日本だけが争いから逃げ回る為にあるという意味ではない
戦争放棄の精神は隣で争う国あらばつまらないから止めろと争いを止めさせる
事にある

広島や長崎の原爆の痛みを乗り越え平和を築いてきた私達は世界中を大いなる
和で結ぶ事ができるはずだ

日本は日出る国、日が昇る国である
21世紀の今こそ平和憲法を世界にメッセージする時だ


2001.12.23 手を育てる

先日の朝、ゴミを出しに行く時、隣の老犬のムクが、よたよたとおぼつかない
足取りで歩いていた。後ろ足にケガをした後があって、傷口はかわいていたけ
れど、そこのとこの骨が見えていた。
可哀相だなと感じて、思わず、ムクを抱きかかえて犬小屋まで連れ帰って、し
ばらくの間、足に手を当てて少しでも良くなるといいねと祈ってあげた。
今から16年前、私達が今の家に引っ越してきた時、ムクは子犬で、隣の家と
我が家との境にあるフェンスの隙間を出入りできるぐらい小さかった。そんな
ことも思い出しながら、ムクは我が家の番犬もつとめてくれていたんだよねと
感謝した。

そしてふと思った。私の手も育ってきたなあと。以前なら傷口を見るのか゜こ
わくって、ムクに触れようとはしなかったと思う。
犬でも人間でも、どこか辛そうにしているなと感じる時、なんとなく手を当て
たくなってしまう。ちょっとおせっかいかもしれないけれど、私の手がそうい
う手になってきたのは、私自身が、何人もの人の手に触れられて、それがとっ
ても気持ちがよくて、ありがたいなという体験をしてきたからだと思う。

そう、人に手を当ててもらうのも、人に手を当てるのも、なんかふんわりとし
ていい感じだと感じれるようになった。以前は、人に触れるのは、恥ずかしい
こと、失礼なことと思っていたし、人からなれなれしく触れられるのは、とっ
てもいやだったりしたのだけど。

随分前のことだけど、近所に住んでいる友達が、私におつりを手渡してくれる
時、私の手のひらを取って、その上に硬貨をのせて、「はい、おつり」と言っ
て、私の手を包み込むようにして、お金を手渡してくれたことがあった。その
時私は、なんだか心がじーんとして涙が出そうなぐらいだった。こんな風にし
て、まるであたり前のように、人の手に触れることができる人もいるんだ。い
いなあと思った。包み込まれた手のぬくもりは、私の心まで包み込んでくれて
いるみたいだ。と感じたのだ。

私が手を育てたいと思うようになったのは、「野口整体」に出会って「愉気」
というものを知り、さらに体を整えてゆくための指導を受けるようになったこ
とがきっかけである。私は、それぞれ個性の違う三人の先生とご縁があり、そ
の中のお一人である長谷川先生がなぜこの仕事をするようになったのかを語っ
てくださったお話は印象に残っている。
「高校生の時、道に落ちていたスズメを拾ってきて、手のひらに包み込んだり
して手当てをしてみたら、元気になってきたそしてそのスズメが自分の体にとま
ったり、えさを食べたりしたのがとても嬉しかった。それがきっかけかな。」
ということだった。

人や動物に手を当てて、痛んだところを癒すというのは、何も特別な人だけが
できることではなく本当は誰もができることなのだと今は思えるようになった。
私の友達も愛犬がケガをした時、気のボールをつくってそれを当ててあげたら
元気になったと話してくれたし、子供のアトピーに「愉気」をし続けて薬をぬ
らなくてもいいようになったという、おかあさんを知っている。手を育ててい
けばそうなるのだと思うし、相手への思いやりの心があれば、自然にそうなる
のだと思う。
私も、せめて自分の体と家族や友達の体にやさしくふんわり手を当てて、それ
で少しでも楽になるといいなと思っている。


「野口整体」について
野口晴哉という人は、12才の少年の時、関東大震災で傷ついた人に思わず手
をさしのべたそうです。そして、その後多くの人の心と体に関わりながら、い
のちの自然を見つめ続け、人が自ら育ってゆく力、治ってゆこうとする力に、
どのような手助けができるのかを、探求し続けた人です。
「愉気」というのは、体の痛んでいるところや、その部分に関連したツボのあ
るところに手を当てて、手のひらで呼吸をしている気持ちになって、ぽかんと
していると、そこに気の交流がおこって、たとえば手がぴりぴりしてきたりし
て、しばらくするとそれがおさまります。また、呼吸が深くなって、ふーっと
落ち着く感じになったりもします。そんなところを目安にして、その時はそこ
までで終わりとします。
ポイントは、何も考えないで無心でいることで、自分の気を与えて治してあげ
ると思ってはいけないのです。「愉気」をして、お互いの気が交流することで、
相手のいのちの力、自然治癒力が呼び覚まされ、その相手が元気になると同時
に、手を当てたほうも元気になってくるのです。

「野口整体」で語られていることは、人間が本来持っている力や能力が、文明
の発達によって衰えたり、鈍ってしまったので、それを取り戻してゆこうとい
う視点にたっています。しかし、西洋医学になじんできた私達は、「野口整体」
の考え方にはじめはとまどうと思います。それは、病気のとらえ方、その対処
の仕方について今まで常識とされてきたこととまるで逆のことを言われるとい
うことになったりもするからです。
たとえば、「野口整体」では、風邪をひいて熱のある時も、足を捻挫した時も、
冷やさずにあたためるということをやります。ためしにやってみると、そのほ
うが気持ちがよく、経過もいいことが体験を通して理解できると思いますが。

「野口整体」の本では、全生社から出版されている「健康生活の原理」「体癖」
「風邪の効用」「体運動の構造」や、子育てに関する本などがおすすめなので
すが、一般の書店では売っていません。それは、整体の技術は、人の命に触れ
るものなので、指導者をぬきにして、中途半端に伝わってはかえってよくない
場合もあるからだと思います。
とはいうものの、そこで語られていることは、深い人間理解にたった素晴らし
い知恵や技術であり、21世紀をになってゆく人間の心と体を育ててゆく上で、
どれほど役に立つか知れないと私は思うのです。
ということで、「野口整体」に興味を持たれた方は、社団法人「整体協会」に
問い合わせていただけばいいと思います。
また、「野口整体」を学び独自の視点もおりまぜながら、活動をされている方
の書かれたものは、一般の書店でも手に入ります。私は、岡島瑞徳さんや井本
邦昭さんの本などを参考に読みました。